美味しい英国料理の真実


英国の美味しさを語る時のキーワードにモダンブリティッシュというカテゴリーがあります。

前回のブログに少し触れましたが、実際のことはあまり知られていません。
というのは、日本において英国の料理は情報の必要性が無く、どうでもいい価値に当たる事。また
英国を訪れる旅行者にはほとんど無関心ということになるのでしょうか。

一時期、旅行情報誌や英国紹介案内にはよく登場したのですが、英国好き=食べるという方程式はあまり当てはまらないのも実情で、大人の文化が面白い英国が、女の子のちょっとイケテル子が遊びに行く国になってしまった気がします。(実際何時頃からか、飛行機の中はそんな現代風の子が多くなりました)

2000年頃のロンドンはスターバックスに溢れていたし、それも時代の流れだったのでしょう。
しかしその頃、少しずつ知られブレイクした若手料理人が居ました。
彼はそれまでのコックや料理人のイメージとは異なり、アグレッシブで天真爛漫で、まるで悪ガキ。料理などとは無縁のやんちゃな男の子という切り口も良かったのか人気が出て、日本でも知られるようになりました。

また様々なスターシェフも登場しており、ロンドンや英国は欧米では料理を語る上で見落としてはならないスポットになっていました。(もちろん日本では関係ありませんが)

その頃に「モダンブリティッシュ」という言葉を聞いたり見たりするようになります。

文字で考えればモダン=現代的なということになりますから、これはファッショナブル!という感じに捉われると思いますし、確かに見てくれはとても画期的な皿を供するようになりました。
そしてこの言葉が流行れば流行るほど、かっこいい、今風なお皿が街を賑わせます。
ファーストフードばかりで食べることに興味がなかった若者もレストランを意識する事になります。
店作りそのものもファッショナブルになり、四角やガラスの皿に、色鮮やかにそしてリトグラフの様に組み立てられる料理の数々。
手をどんどん加えられ、技巧に凝り、天然色では出せない色、そして形も薬品で構成。
お客様に供される頃には、すでに皿は冷たく、肉は固まり、んんキレイ。。。。

そういえば日本でも、スペイン料理が流行って、すんごい料理がどこもかしこもそのスタイル(見かけ)だけを真似て、いつしか居酒屋までもが「創作料理」「無国籍料理」なる看板をかざし、モダンダイニングとして市民権を得るまでになってゆきました。

お気付きでしょうか。
そうです、いつからか知れず、どんどんと道はズレて、本来の意味が分からないほど、遠く離れていってしまったのです。

家庭でも熱々を美味しく食べられた豚のしょうが焼きが、いつしか四角い皿の上で冷え冷えとトルネードされて高々と盛り付けられ、タイ料理仕立てのしょうが(ない)焼きに変貌して行ったのです。

モダンブリティッシュを語る上で大切なのはまさにこのあたり、
店は汚いよりキレイな方が良いし、店員もどん臭いよりかっこいい方が良い、でも料理は美味しい方がいいですよね〜!

さて、モダンブリティッシュは英国の風土・紀行・そして伝統的料理やお菓子を、再度この現在に当てはめて懐古した上に導かれる現代的な料理。
ですから料理人はこの歴史は基よりその材料・食材の本質を知ってこそ始めて足を踏み出せる領域。
日本料理の基礎や伝統を知らずして、キレのある艶やかな料理が出来ないのと同じように、英国料理もけしてファンタスティックで醍醐味の有る、素材を生かし本質を貫いた美味しい料理は出来ないのであります。

私はそれを表現できる一人の料理人の料理を食べて、震える衝撃を受けた事がありました。
以前どこかの本に書いた事がありますが、今でもその美味しさと感動を忘れることは出来ません。

じゃがいもとたまねぎ、それに森のきのこ。
これだけの、どこの土地にも転がっているような何てこと無い食材(安いもの…で)、それはビックリするほどの完成度の高い料理に変貌を遂げていました。
ジャガイモは油でしっかりと焼かれ、たまねぎはキツネ色に染まり、茸はまるで森の中に彷徨っているかの様な香ばしいイオン。
それらが皿の上でUFOの様に美しく盛り付けられ、それぞれの食材のバランス、食感、甘み、塩加減、香り、噛み応え、舌での拡がり、鼻への抜け、酸味、苦味、香ばしさ、食道への道のりに至るまで、極上の豊かさの喜びが、脳をビンビンと刺激し続けていました。

じゃがいも、たまねぎ、きのこ。

脱帽です。。。

英国の家庭のどこにでもある様な食材を使い、料理人が手をかける事でこれ程までに激しい変化をもたらしす料理はそれほど巡り合えることはありません。
でもその時に強く感じたのは、この料理人が子供の頃遊んだであろう森の風景や、泥まみれの大地の香りをそのままに、洗練された極上の皿にして、私達の心にその風景や感触、匂いまで連想させてしまう料理という芸術の素晴らしさ。

私は料理を食べて、時にイタリアの港町の漁師の風景が見えたり、スイスの山小屋で熟成されるチーズの香りが届いたり、雪解け水で洗われる信州のそばの清らかさを感じたりする幸福を幸いにも感じる料理に出会う事がありました。

モダンブリティッシュ料理も同じで、「NEW CLASSIC」という言葉に表現される様に、人々の心に残る料理が今はNEWであっても、いつかはクラッシクとして息づいてゆく生命力があるものだけに与えられるものだと思います。

始めに登場した若い料理人も、彼の実家は伝統的なPUBで、幼い頃から母の味に興味を持ち、父親のPUB料理を習いの始めにし、新しいセンスを取り入れながらも成長し活躍していった姿があります。
これはとても大切なバックグラウンドだと思います。

さて、モダンブリティッシュ料理の面白さに、ちょっと興味を持っていただけましたでしょうか?
またお話を致したいと思います。


2013年8月17日
小澤桂一


Retern